平野啓一郎『ディアローグ』追記+「文学の触覚」展

ディアローグ

ディアローグ

http://d.hatena.ne.jp/syn_chron/20071208#1197390628のつづき)

やっと読了。
それぞれの対談の世界に入りこんでしまうのと、他に平行して読んでいる本もあったので時間がかかってしまった。
最後に読んだせいもあるかもしれないけど、大江健三郎さんとの対談が一番印象に残る。
なぜ巻末にあるはてな近藤社長ではなく、大江さんのところを最後に回したのかというと、やっぱり偉大な作家に気後れしてしまったから。
私が三島や谷崎と書くように、あえて敬称をはずして大江としてしまいそうになるぐらい、遠くにある存在の方。作品はいくつか読んでいるけど、インタビューなどにはあまり触れたことがなかった。
読んでみて驚いたのは、大江さんが権威的ではなくて、むしろとても瑞々しさを感じさせる人だったということ。
文体のこと、主格のこと、描く対象、信仰のこと…。「文学」について真摯な態度で語り合う二人の作家。
この本には他の作家の方との対談もおさめられているけれど、ここの章は群を抜いていると思った。
大江さんがサイードの言及を引用した箇所を抜き出しておく。

すなわち、本を読む水準でいえば、本を読んで私たちが刺激されたり、感動したり、励まされたりするのは何かというと、そこにある死んだ情報が我々に伝わってきて、ある物知りになれたりすることじゃなくて、読んだことによって我々の精神が動き始め、励まされ、加速され、そして強調され、ある動きを起こすということだ。それが本を読むことなんだと彼はいうわけです。それが自分たちにとって一番重要なものとして、本を読むという単純な行為の中にある。

これは大江さんが何十年も向き合っている文学に対する気持ちでもあるだろうし、平野さんに次の50年を託すエールでもあるだろう。
頼りないささやかな読者に過ぎない私も、この箇所にじんとしてしまった。きっと本と一緒に暮らす人たちが共感する気持ち。
去年「群像」で掲載された対談記事だそうだけれど、一年経て私のところにもこのようなかたちで届いてくれて良かった。



と、文学や平野さんに盛り上がっている気持ちで東京へ。
なんとなくチェックしていた東京都写真美術館の「文学の触覚」展にも行ってみる。
http://www.syabi.com/details/bungaku.html
うまく説明できないけれど、メディアアートを通じて文学を表現した展覧会、ということになるのかな。
現代アート展でもみられるような、新しいテクノロジーも積極的に使われていてなかなか面白かった。
平野さんも自分の作品の写真などをはてなに載せられている。
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20071217/1197846921

作品に触れるのは楽しかったし、こういった試みは大事だと思う。
でもふと前述のサイードの言及に立ち返ったとき、文学の魅力ってこうじゃないだろうとも感じる。
例えば「谷崎リズム」って作品では、谷崎の文章を分解したかたちは視覚化できるのかもしれない。でもそこに、その文章を読んでいる心の震えは見えないんだ。
今は過渡期なんだと思う。だけどいつかその心の震えと共鳴するようなメディアアートが出現することを願う。
(群像最新刊にも展覧会の内容が掲載されている)

群像 2008年 01月号 [雑誌]

群像 2008年 01月号 [雑誌]




帰りの飛行機では『ウェブ人間論』を遅ればせながら。

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

時代の変容を感じながら創作を続ける平野さんだから、「文学の触覚」に参加されることにも意義が感じられる。
私の感じるさまも大きく動いているところ。
http://d.hatena.ne.jp/syn_chron/20060406