身勝手かもしれないけど


誰にも伝えず、ここを閉めることにした。
もともと自分のために書こうと思っていたブログで、リアルの知り合いには誰にも教えなかった。
ふと考えてみると、いつの間にか読まれることを意識して書くようになってしまい、
どんな方向に歩きたいのか分からなくなってた。


それほど遠くないところで、もっと淡々としたものを書こうと思う。
出会うべき人はまた見付けてくれるだろう。

池澤夏樹個人編集「世界文学全集」

選択する好みが偏ってしまうので、こんな雑誌もたまに目を通します。

BRUTUS (ブルータス) 2008年 1/15号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2008年 1/15号 [雑誌]

目がとまったのは、紅葉した並木の梢を背に、歩道橋で佇む池澤夏樹さんの写真。(p.26)
記事の内容は河出書房から刊行される世界文学全集のこと。
http://mag.kawade.co.jp/sekaibungaku/
既に第1巻ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』が配本されている。

古典を外して20世紀後半の作品から、よりグローバルな視点で選ばれた36作品の全集。
選択された池澤さんの意図するところの言及にすっとひきこまれていく。
そして最後に、今「文学全集」が必要な理由は?という質問。

これは出版の形式です。巻数を限って、毎月刊行する。そういう方法で、僕は潜在的な読者を読書の快楽に誘惑したいのです。今、長い小説を読むのが難しい理由のひとつは、日常生活のスピードがあまりに速いことです。アレグロの日々、超こま切れの時間処理の中に、モデラート・カンタービレの読書を持ち込まなければならない。これを横に、そのコツをつかんでください。

単純だけど、ここの文章のところですっかり参ってしまった。
同じく興味を持たれた方、一緒にTRIP始めませんか?お正月休みが目前です。
次回配本は1月8日の予定だそう。

四角い風船+石上純也ギャラリートーク

今回の東京は早めに到着。羽田に8時半。
ホテルに荷物を預けて、早速向かったのは東京都現代美術館MOTでした。
MOTでは「SPACE FOR YOUR FUTURE」展が行われているのですが、
その出品作家の一人、石上純也さんのギャラリートークを楽しみにしていたのです。


その石上さんの作品《四角い風船》は、13×6×13メートル、重さ1t、4階建てビル相当の巨大なアルミの箱。
ヘリウムガスが充墳されたその箱は、美術館のアトリウムにゆるやかに浮かんでいた。

展覧会は上階から順に降りてまわる順路になっていて、私が3階の吹き抜けからのぞいたときは、視界がアルミの風船で塞がれていた。
ほんとにこれが浮かんでるのか、わずかな隙間からみえる床面や天井からもそれがつかめず。
やっと地階に降りて、アトリウムの床レベルに立って見上げたときに全貌がみえてくる。
その空間の広がりにはっとして、しばらくの間風船のゆったりとした動きをじっと見つめてた。



(写真は風船を眺めるひとたち。靴をぬいでカーペットの上に皆が座り込んでるのは、ギャラリーツアーの説明を聴いているからかな。でもその姿勢が作品と相まっている感じがした。)


《四角い風船》について、図録のインタビューやギャラリートークをまとめると、
石上さんが興味を持っている「風景」を、アトリウムの空間と巨大構造物でつくりだすことが意図された作品。
でも私にはアルミの箱のオブジェクトがどうしても強く感じられて、差し引いた残りの空間は等価じゃないってずっと納得できなかった。
帰宅してからもそのことを考えていたのだけど、このエントリーを書きながら地階から見上げたときの視界の広がりが思い出されて、
そんなことも石上さんの意図されたことのひとつなのかな、とか。
安全のため作品の横からしか眺められないけれど、ほんとは下にもぐって見上げると、空間の変容がもっと感じられるそう。
空調などの微妙な空気の流れでゆっくりと動きながら、かつダイナミックに変化する空間。
アトリウムの空間に巨大構造物という大きなスケール感を持ちながら、風船自体はビスやボルト、接着物のひとつひとつの重量を計算して設計されている繊細な作品。


お昼からのギャラリートークは、四角い風船前のアトリウム地階で行われた。
レストランやKPOでのテーブル、レクサスの展示構成、東京電力コンペの別荘などのお話。
ちょうど1年前、直島で初めて石上さんの講演を聴いたときにもやもやとした気持ちが残ったっけ。
あれから私もいろいろ感じとることがあったので、石上さんのプロジェクトにも違う解を見付けられたように思う。
そして初めての実作《神奈川工科大学の工房》がもうすぐ竣工されるということで、
全て大きさや角度が異なる柱がグリッドから外れたかたちで林立する空間がどんなものか、
私は実際体験できるのか分からないけど、そんな世界が現実に恒常的に立ち上がることに期待感。


↓四角い風船についての石上さんのインタビュー映像を見付けた。


↓四角い風船の制作風景の写真が載っている。山岸剛さんが撮影。


↓こんなページも見付けた。
http://www.kodama-good.com/otm/060seihin.html

平野啓一郎『ディアローグ』追記+「文学の触覚」展

ディアローグ

ディアローグ

http://d.hatena.ne.jp/syn_chron/20071208#1197390628のつづき)

やっと読了。
それぞれの対談の世界に入りこんでしまうのと、他に平行して読んでいる本もあったので時間がかかってしまった。
最後に読んだせいもあるかもしれないけど、大江健三郎さんとの対談が一番印象に残る。
なぜ巻末にあるはてな近藤社長ではなく、大江さんのところを最後に回したのかというと、やっぱり偉大な作家に気後れしてしまったから。
私が三島や谷崎と書くように、あえて敬称をはずして大江としてしまいそうになるぐらい、遠くにある存在の方。作品はいくつか読んでいるけど、インタビューなどにはあまり触れたことがなかった。
読んでみて驚いたのは、大江さんが権威的ではなくて、むしろとても瑞々しさを感じさせる人だったということ。
文体のこと、主格のこと、描く対象、信仰のこと…。「文学」について真摯な態度で語り合う二人の作家。
この本には他の作家の方との対談もおさめられているけれど、ここの章は群を抜いていると思った。
大江さんがサイードの言及を引用した箇所を抜き出しておく。

すなわち、本を読む水準でいえば、本を読んで私たちが刺激されたり、感動したり、励まされたりするのは何かというと、そこにある死んだ情報が我々に伝わってきて、ある物知りになれたりすることじゃなくて、読んだことによって我々の精神が動き始め、励まされ、加速され、そして強調され、ある動きを起こすということだ。それが本を読むことなんだと彼はいうわけです。それが自分たちにとって一番重要なものとして、本を読むという単純な行為の中にある。

これは大江さんが何十年も向き合っている文学に対する気持ちでもあるだろうし、平野さんに次の50年を託すエールでもあるだろう。
頼りないささやかな読者に過ぎない私も、この箇所にじんとしてしまった。きっと本と一緒に暮らす人たちが共感する気持ち。
去年「群像」で掲載された対談記事だそうだけれど、一年経て私のところにもこのようなかたちで届いてくれて良かった。



と、文学や平野さんに盛り上がっている気持ちで東京へ。
なんとなくチェックしていた東京都写真美術館の「文学の触覚」展にも行ってみる。
http://www.syabi.com/details/bungaku.html
うまく説明できないけれど、メディアアートを通じて文学を表現した展覧会、ということになるのかな。
現代アート展でもみられるような、新しいテクノロジーも積極的に使われていてなかなか面白かった。
平野さんも自分の作品の写真などをはてなに載せられている。
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20071217/1197846921

作品に触れるのは楽しかったし、こういった試みは大事だと思う。
でもふと前述のサイードの言及に立ち返ったとき、文学の魅力ってこうじゃないだろうとも感じる。
例えば「谷崎リズム」って作品では、谷崎の文章を分解したかたちは視覚化できるのかもしれない。でもそこに、その文章を読んでいる心の震えは見えないんだ。
今は過渡期なんだと思う。だけどいつかその心の震えと共鳴するようなメディアアートが出現することを願う。
(群像最新刊にも展覧会の内容が掲載されている)

群像 2008年 01月号 [雑誌]

群像 2008年 01月号 [雑誌]




帰りの飛行機では『ウェブ人間論』を遅ればせながら。

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

時代の変容を感じながら創作を続ける平野さんだから、「文学の触覚」に参加されることにも意義が感じられる。
私の感じるさまも大きく動いているところ。
http://d.hatena.ne.jp/syn_chron/20060406

「河口龍夫展ー見えないものと見えるものー」(兵庫県立美術館)

syn_chron2007-12-09

この展覧会も16日まで。


展覧会の最初の一室は、須磨の海岸の時間の経過を追ったモノクロ写真がぐるりと四方に並ぶ。(《陸と海》)
ほとんど無に近い空間でありながら、静かな波の揺れと時間の流れを感じとることができた。
そのあとにつづく展示も華やかな雰囲気とは遠く、でも私は作品たちの小さな息づかいとともに佇んでいる時間がよかったと思う。
途中、真っ暗な空間へマグライトひとつで作品を鑑賞する展示室《闇の中のドローイング》や、同じく闇の空間で数分間スケッチをする体験型インスタレーションがあって、自分の感覚の曖昧さを再認識…というよりも、こういった普段の感覚を削がれたときに、いつも私は自分の弱さを痛感させられている。直島の南寺での体験を思い出す。


あっと思わせられたのは、この美術館で「光の庭」と名付けられている中庭にも作品が展示されていたこと。
そして企画展示室を出たところのガラス張りの廻廊にも展示が続く。そこでもああという感嘆が漏れる。
これほどこの美術館の空間とコミットされている作品を観たことがなかった。
現在活動をされている作家の方だからこそできた展示構成だっただろう。


同時開催で名古屋市美術館でも河口龍夫展が行われていて、開催当初は興味がなかったのに、名古屋行きを考え始めてる。
http://www.art-museum.city.nagoya.jp/tenrankai/2007/kawaguchi/index.html



またムンク展が始まったら騒々しくなるのだろうけど、この日の兵庫県立美術館は人の出入りもまばら。
しんしんと空間の雰囲気が降りかかってくるような気がする。

本のこと

それなりに本は買っているし読んでいるのだけど、
ここで読後メモを書き留められないまま次の本へ移ってしまう。
わわっと「読みたい!」って気持ちになったことを記録したくなるのが最近の傾向。
そしてこの日そんな衝動があったのはこの本。

恋する建築

恋する建築

タイトルだけだったら手にとらなかったかもしれないけど、
週末の東京での予定に「中村拓志展覧会」も入れていて、
http://www.ozone.co.jp/event_seminar/event/detail/434.html
ぱらぱらとページをめくると展覧会紹介の写真で見覚えのあるものも。
ああ、これは絶対移動の中で読む本だ。
空港の待ち時間からスタートということで旅行鞄にしまう。
まるで映画の封切りを待ちのぞむような気分にも似ていて、ささやかな幸せがつまってる。


ほんとは書店に入った一番の目的がこの本を探すこと。

モノローグ

モノローグ

ディアローグ

ディアローグ

平野さんもはてなを書かれているのは有名な話だけれど、そこで刊行が予告されていたのが気になった。
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20071201/1196441447
今回は2冊同時刊行。それぞれ彼の20代のエッセイ集と対談集が収録されている。


私はなんどか平野さんの小説やエッセイに挑んできたと思う。
でも完読できなかったり、読後感がとても嫌な気分になったりであまりいい印象がない。
それなのにやっぱり気になる作家の方なんだ。
もしかしたら平野さんの文体のリズムが合わないのかなあと思っているので、
青い方の対談集を選んだ。
これが読んでみるとなかなか面白くて、12ある対談のうち、7つを読了。
20代の頃からこれだけの芸術観、宗教観を持たれていたのかなあと思うと圧倒されてしまうけど、
ところどころ共感できる部分もあったりするのが同世代なのかな。それとも世代なんて関係なく?
でも少しでも作家の意図するところを知ると、途中であきらめてしまった作品をまた読んでみたくなった。
個人的に好きなのは三島由紀夫についての鼎談。
芸術論を集めたもうひとつのエッセイ集も面白く読めそうな気がする。
その赤い方は買わないで、隣にあったこちらに手が伸びていた。

案外、買い物好き

案外、買い物好き