KEN-Viセミナー第1日目(兵庫県立美術館ギャラリー)

終了した際に、会場の様子でも撮っておこうとカメラを手にとると、
青木淳氏と西沢大良氏が中央あたりにはいってました。
なかなかのタイミング。



本日のプログラム

  1. 講演「青森県立美術館について」青木淳
  2. 講演「芸術と生活」西沢大良
  3. 座談会 青木淳西沢大良/米田明(アーキテクトン)


やはり7月13日開館間近の《青森県立美術館》に話題集中。
青木氏の講演だけでなく、座談会もそれに関する話に。


1.講演「青森県立美術館について」青木淳
いろんな要素のことを語られていたので、なかなかまとめきれないのですが、
興味深かった点を箇条書きにして挙げていきます。

  • アートを展示するのにふさわしい空間とは?

作品を飾る目的でつくられた美術館よりも、
むしろ別の機能を果たすためにつくられた建築物の方が、
素晴らしい美術館に生まれ変わっている現象をスライドで説明。
《吉井酒造煉瓦倉庫》《テートモダン》《クリュニー美術館》
八幡製鉄所廃墟》
空間に強い意識を持ってつくられた建築物は、
別の用途で使われてもその力を発揮することができるといえるかもしれない。

白い壁白い天井の空間は、美術館には展示しやすい空間として好まれてきた。
中性的でニュートラルなものと捉えられているが、
逆にこれほど強い個性を持つ空間はないのではないか?
それに安易に展示ができてしまうために空間と作家の間に衝突が生まれない。
リノベーションされた不自由さを持つ空間に対しては、作家が挑戦する形ができあがってくる。


以上の2点のことはINAX10+1のWEBサイトにある、
青木さんと奈良美智さんの対談記事を参照すると理解が深まります。
http://tenplusone.inax.co.jp/dialogue/dialogue4_1.html
奈良さんが《芦屋市立美術博物館》で展示をするときに、
試行錯誤して作品を作っていた過程の話が面白いです。


ここからは具体的に《青森県立美術館》の話へ

  • 青森らしい建築とはなにか?

三内丸山遺跡の隣の敷地に建つということで、
遺跡にあるトレンチ(細長い発掘溝)に着目した。
平面だけでなく断面上でもその形状を活かし、
でこぼことした空間をつくった。

  • 拮抗するふたつの世界

ホワイトキューブの展示空間と隙間の空間が
市松模様のように並ぶ平面をつくることによって、
ふたつの空間の立場が逆転する。
ここで例に挙げられた作品

公園とプール、水着と着衣の2つの世界が共存

道路の世界と庭の世界、publicとprivate
→2つの世界の自由な行き来

東京国立美術館インスタレーション
展示室の仮設壁の隙間を広げて、裏側と表側を逆転させようという試み。


このあとは具体的に《青森県立美術館》のディテールについて話されました。

    • アレコホールの床は土(版築)

美術展示だけではなく諸芸術のための場所。
ホールを別に設けなくても、展示室でもできるのではないか?という、
21世紀型美術館への回答。

    • 一見するとフラットな白い壁に見える外壁は、実は煉瓦。
    • 壁とひと続きの庇も煉瓦のように感じるが、GRC工法。
    • アーチ窓の内壁が45°カットで処理されているため、煉瓦壁に感じられない。

→ただのホワイトキューブにはせず、レイヤーの重なりを見せた。
(エクステリア/構造体/インテリア/サイン)
"見え"と"見え"の関係をつくった。


最後に青木氏のまとめ。

  • ホワイトキューブを否定するわけではなく、そこから新しいものに挑戦した。
  • 「街」「原っぱ」という空間をどう使うか。

おまけとして最近大阪で竣工した《白い教会》を紹介されました。
炭素でできている白いリングの構造体。




2.講演「芸術と生活」西沢大良
残念ながら周りでは寝てしまっている学生さんが続出してました。
私は『西沢大良1994-2004』を読んでたのが良かったのか、面白く聴き入っていました。

西沢大良 1994‐2004

西沢大良 1994‐2004

 

スライドで紹介された作品を列挙しておきます。

    1. ユニオン社のミラノサローネ2006の会場構成 http://www.openyourmind-elmes.com/
    2. ICC'98》会場構成('98)
    3. 《ショップ・エンデノイ》のリノベーション('99)
    4. 《諏訪のハウス》('99)
    5. 《川崎のハウス》('05)
    6. 《調布の集合住宅A》('03)
    7. 《調布の集合住宅B》('03)
    8. 《砥用町林業総合センター》('04)


ほとんどは『西沢大良1994-2004』で取り上げられているものでした。
(2.3.4.6.7.8)
写真もこの本で使われているものが多かったと思います。
でも写真、図面、解説だけで把握していた作品だったので、
設計者からのじかの説明を受けながら、
自分の理解と照らし合わせていくのがとても面白かったです。
西沢さんがこだわっているひとつの問題として、
生活の中に溢れかえっているオブジェクトを、
いかに整理して見た目良くみせるかということがあります。
例えば《諏訪のハウス》や《川崎のハウス》では、
施主が持っていた家具などにまとまりを感じさせる内装を手掛けられていました。
また《調布の集合住宅》では、バルコニーや窓に工夫を与えて、
生活感が外に露出したときに見た目に美しいものを意識して設計されています。
新宿のごちゃごちゃとした街並のスライドを映しながら、
東西統一前の東ドイツの駐車場は、車種がひとつしかなくてきれいだった話や、
物が少なかった昔、例えば江戸時代の頃はもっと美しかったんじゃないかという考察。
そして20・21世紀になってどんどん汚らしくなっていく街並を
なんとかしなきゃいけない、と言及されていました。


その考えに関連しているかどうか分からないけれど、
私も以前から街の”色”が苦しくて仕方ありませんでした。
私の勝手な言葉で書くと、”安易に基本12色セットを使っている!”って感じをいつも受ける。
基本12色セット=画材はなんでもいいんですが、例えば油絵セットにもれなくついてくる絵の具です。
それらの色を効果的に使えばいいけれど、あまりなにも考えずに使われている。
電車の中で男性の漫画雑誌の表紙を見かけるとぞっとします。
勤務前から読んでる行為もすごいけど、その表紙の色の組み合わせ…。
安く早く目立つためのものをつくるとあんな感じになってしまうのでしょうか?
同じように少年漫画の色使いもなんだかおかしい。
でもそれを読む彼等にはその色が当たり前になっていて、
色の感じ方に鈍い人が増産されているような気がする。
…ということを日頃思いつつもあえて外には出さなかったのですが、
(漫画を読んでる人は相当多い。私も読むけど。)
西沢さんが実践している作品を観てたら、
せめて好きなこと書けるブログには気持ちをぶつけてしまいたくなりました。
でも講演を聴いている方の反応の様子だと、西沢さんの考えって少数派になってしまうんでしょうか?
ただ知名度が青木さんより低いだけでしょうか?


3.座談会 青木淳西沢大良/米田明(アーキテクトン)

どこかのブログでも書いていたけれど、この講演会の会場は音響の吸収が悪いようで、
ずっともわもわした音声で聴き取りにくかったです。
上記のお二人の講演はなんとかメモをとれていたのですが、
この座談会は筋が見えてこなくて、分かりづらいものでした。
司会者の米田氏はどう進行していきたかったのだろう?
青木氏と西沢氏の対談で良かったと思います。


一部印象に残ったことを書きます。
西沢さんの青木さんに対する質問。
ー青木氏の建築は明解さと感覚が上手く合わさっているように思われるが、それはなぜ?
青木氏の回答。
ー設計には2段階あると考えている。1に基本構成で、2に基本構成以降。
2段階に入っても、1の基本に立ち返りながらバランスをとっていく。
やり方は感覚に頼っていくが、そこをコントロールしていくのが建築。
それに自分以外の考えも取り入れていきたいと思っている。
例えば《青森県美》の「アーチ型の窓」を提案した所員のアイデアを否定していたが、
採用することに。
ただ無意味に使うのではなく、映画の伏線をヒントにしたロジックのアイコンとした。


講演会のあと、会場外の通路では両氏の書籍販売とサイン会が行われました。
はずかしいなあと思いながらも2冊購入して並びましたよ。
私の番になる直前まで西沢氏は席を立たれていて、
「僕の本なかなか買ってもらえないから」とぼやきながら戻って来られました。
西沢氏の方から私の名前をきいて下さって、
青木氏も「私もかきましょうか?」と。
口頭で伝えると「なんか漢字テストされてるみたい」
「間違えたのが古本に出回るとはずかしいよね」と言われてそれがすごく可笑しい。
なんだかすごく緊張してしまって損しちゃったな。
青木さんにアルマジロ人間描いてもらっても良かったかな。




原っぱと遊園地―建築にとってその場の質とは何か

原っぱと遊園地―建築にとってその場の質とは何か


西沢大良 1994‐2004

西沢大良 1994‐2004