フンデルトヴァッサー展(京都国立近代美術館)

syn_chron2006-05-20

http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2006/346.html#3

最終日の前日。
私にとってはあまりいいイメージのない作家だったのに、
実際の絵画作品を観ると好きに変わっていた。
購入した図録をみていても感じたのは、
本作品と印刷物の色の違いで作品の印象が大きく変わってしまっていること。
印刷との印象が変わるのはどの作家の作品も同じだけれど、
色数や色の対比、描いているもののせいか、
フンデルトヴァッサーの作品はその影響が著しいような気がする。
彼の作品はぎりぎりのところで色の組み合わせがなされているように感じた。


展覧会の構成は

  1. 序章
  2. 自然と人
  3. 自然と都市
  4. ポスターとフンデルトヴァッサー

2と3のボリュームが大きく、1と4はそれらに添えられたかたち。
1以外は年代ごとではなくテーマで並べられているので、
完成度がかなり違ったものが隣り合わせになっている。
大体'70年代の途中から大きく飛躍しているようで、
'50~60年代の作品は模索中でいろいろと迷い苦しんでいる感じが伝わってくる。
展覧会入り口の序章のところにある20歳前後の作品なんて凡庸そのもの。
あの歳の時点では、私の方がよっぽど面白い絵が描けていたと思う。
でも世に受けのいい絵をやすやすと描くんじゃなくて、
じっと自分の描きたいものを突き詰めていった足跡を感じた。


展覧会の終わりの方に、彼のドキュメンタリー映画を流しているブースがあった。
自然や環境への言及で有名なフンデルトヴァッサーだけれど、
行動や風貌をみていると変人の域に入ってしまうなあと感じる。
(羨望の気持ちを込めて)


建築に関する言及。「直線は邪悪で不道徳である」
だから直線的なデザインの建築物を否定していた。
コルビュジェやミースなんて全く相容れない存在だったに違いないけれど、
今のところそれについての私の答えは出てこない。
無機質な部屋があって、そこに例えばフンデルトヴァッサーの絵がかかっている。
そんな空間がやっぱり気持ちが良いような気がする。
それは世間一般の既成概念から抜け出せないだけなんだろうか?
私の判断基準はどうやって作り出していけばいいんだろう?


シンプルに一番気に入った作品を挙げる。
'71年の『雨の日に見てごらん』という10枚の版画集。収納ケース付き。
箔打ちの技法もあるので図録とは全然印象が違っている。
高松市美術館が所蔵しているようなので、機会を見付けてまた観ておきたい。


京都のあとの巡回