『家の?』青木淳

家の? (くうねるところにすむところ 子どもたちに伝えたい家の本)

家の? (くうねるところにすむところ 子どもたちに伝えたい家の本)


アルマジロ人間論争の対象となっている本。
昨夜読んだのに考えがまとまらず、なかなか感想が書けなかった。


本の内容の前に、アルマジロ人間論争について現時点での私の考えを書き留めておく。
まずどちらに否があるのかといえば、青木さんの方だと思う。
私は法に明るくないし、他の判例を照らし合わせてもいないけど、
小野さんの陳述通り、”アルマジロ人間”が彼独自のアイデアで生まれたキャラクターであるのなら、
『家の?』の著者名が青木淳個人であるのは、違法行為だと思う。
(作成時の契約、勤務規則はどうなっていたのかな?)
私は司法の判断に関して深く言及する能力がないので、
違法行為か否かについてはここまでにしておく。


このアルマジロ人間論争で浮き彫りになったのは、
著作権の所在が建築業界では(も?)曖昧になっていることだった。
小野氏の陳述書から引用させてもらうと、
”建築界の慣習”として”スタッフは、アイデアを所長に売って、
代わりに経験を得るという意識をもたされていること”がある。
そもそもアルマジロ人間を図面書き込んだのは、
”自分がこの建築をつくったという証を記す意味で描いた”そうで、
今回の訴えでは、アルマジロ人間の著作権を争う狭義の問題だけでなく、
共同制作の現場では著作権法が遵守されていない問題も提議している。


建築の専門雑誌や専門書籍の場合、
建築物の設計を個人ではなく共同者で行っているのであれば、
設計者のところには○○事務所、○○研究所などの法人名を記すだろう。
この『家の?』のくうねるところにすむところシリーズに記されるのは”著者名”だけれど、
ここには個人名が挙げられている。
でも本の中で実際に共同で設計された作品が語られているのであれば、
全ての表現、アイデアが個人の著者から出たものとは限らないだろう。
その辺りのところは事前に考慮されていたんだろうか?
私の勝手な偏見になるけれど、この『家の?』の出版社が、
建築やデザイン専門でないのが気になる。
http://www.indexcomm.co.jp/


私自身の反省点。
今日の記事を書きながら著作権法のページを参照していたら、
私のブログも間違ったことをしていることに気付く。
修正できるところは修正し、以後気を付けようと思う。


個人的に『家の?』の内容自体はとても良かったと感じた。
その感想は明日に回すことにする。