西沢立衛氏講演会「近作について」(姫路文学館講堂)

(写真は講演終了後、ブラインドがあがったときに現れた空)
姫路までの車中、最近よく引っ張り出している「新建築」3月号を読む。
載っているのは《HOUSE A》で、今更になってどんなものだったのかを知る。
もちろん講演でも解説された作品で、
無意識のうちに障害となっていた形式が気持ち良く取り払われているのに感嘆する。
例えば小さなことをひとつ挙げれば、
私も一人暮らしのときの休日はお風呂とリビングを行き来しながら長い時間を過ごしてたことがあったっけ。
《HOUSE A》ではそれらの機能がひとつになってる。
日頃もやもやとしているものを取り出して、こんなに鮮やかなかたちにできるのがすごい。気持ちがいい。
でもそうやって賞賛する反面、なぜかこの心地よさに不安と落胆をいつも感じてしまうのはなぜなんだろう。


他に進行中のプロジェクトで気になったのが、直島の新しい美術館。
平面から見ると水滴の形をしたシェルストラクチュアのドームで、
ひと続きの一部屋に別々の作家が制作した2つのパーマネントコレクションが置かれるというもの。
完成予想のCGがスクリーンに映されていたけれど、
作品以外なにもない真空地帯のような空間に放り出されてみたくなった。
あえて仕切り壁をつくらず、ひとつの空間にふたつの作品が対峙するような見せ方をするのも面白そう。
来年より着工とのこと。
もうひとつ気になったのは十和田市現代美術館
こちらは森山邸の形式に似てる。


講演会の開始前に時間があったので、文学館の図書室で読書。
それほど蔵書は多くないのだけれど、多くないからこそいつもは手に取らないものに目が向く。
多木浩二さんの『写真の誘惑』。今は改題されて青土社から出版されている。
メープルソープが死の前年に撮ったセルフポートレートに感銘を受けて導き出される思想を綴ったもの。

まだ触りしか読んでいないのに、既に自分がカメラを持ち歩く意義を失ってしまった。
あくまでも私が写真を撮るのは作品じゃなくて自分のためのメモなんだけど、
それでもイメージを持ち帰りたいという欲望のために、屑のようなものを増やし続けてる。
引用されてたピーター・ガランの『写真以前』も読んだ方がいいかな。
いつになるか分からないけどメモはしておこう。

死の鏡―一枚の写真から考えたこと

死の鏡―一枚の写真から考えたこと