「森のなかで」展(和歌山県立近代美術館)

syn_chron2007-12-01

今日は南海電車で和歌山へ。
特急サザン。海岸沿いを通り、紅葉した山間を抜けて行く列車。
行き着いたのは森をテーマにしたグループ展でした。
http://www.bijyutu.wakayama-c.ed.jp/exhibition/morinonaka.htm

ここにコメントをくださっている方からお勧めしていただいた高木正勝さんが参加されていて、
(すっかりはまっています)この方の作品を観るのが今回の目的だったのです。
《Tidal》という新作は、回転している少女たちの顔の表情と絡み合う髪を捉えた映像。
高木さんは、夜の熊野本宮大社の境内で、風に揺れる杉からインスピレーションを得たそう。
映像には「森」は一切映らないのだけれど、でも少女の表情や髪は「森」なんだと感じる。
展示室1室が暗室になっていて、
私はそこの中心に敷かれたクッションに座りこんで、目の前のスクリーンをじっと見つめてた。
他に《Bloomy Girls》《el viento》も合わせて3回ほど。
もちろん作品の映像は私の目の前で心地よく流れていく。
でもなんなんだろう?他のある絵画作品などで、私の見えない足が立ち入ろうとするような、
そんな奥行きが高木さんの映像にはみえてこないんだ。
Podcastで配信されているtamabi.tvでの高木さんと中沢新一さんのやり取りが頭にあるせいか、
ヒトが意図して視覚化できる世界の限界を感じてしまう。
それはただ私がこれからの映像を呑み込むことができていないだけなのかもしれないけど。
それにざらざらとした違和感を感じさせるものは、それだけ惹き付けられているということなんだと思う。


他に気になった作品のことを。
栗田宏一さんの《ソイル・ライブラリー/和歌山》は、
和歌山県内108箇所で採取された「土」をそれぞれガラスの小瓶に詰めた作品。
土ってアンバー系の色だけじゃなくて、微かにピンク色だったり青っぽかったりするんだ。
それらがきれいなグラデーションになって一列に並んでいる。
栗田さんは今回の展覧会に伴うワークショップも行っていて、
地元の子供さんたちと土を採取して作品づくりをされたそう。
その模様を伝える「わかやま新報」の記事のコピーが会場にあって、栗田さんの言葉を書き留めておいた。
「遠くに行かなくても自分の足元に不思議なものや美しいものがある。
『まず自分の足元を見よう』ということを、美術の力で伝えたい。」


銅金裕司さんの《粘菌プラントロン》。
「プラントロン」は植物の体内を流れる微細な電流をコンピューターにより音へと変換する装置で、
会場では和歌山の博物学者・南方熊楠にちなんだ「粘菌」の生態をセンサーで感知させ、スピーカーからの音で表現。
このセンサーは周囲の人間の動きにも反応するので、粘菌と人間、お互いの存在の交感が試みられている。
と書いていてもなかなかうまく説明できないので、以下の作家の方のページを参考にどうぞ。
http://wiki.livedoor.jp/dogane/d/FrontPage

同様のシステムで、美術館の2階テラスでは《ナギ・プラントロン》が設置されていた。
「ナギ」とは、熊野速玉神社のご神木である梛の木。
下の映像はなんともうまく撮れていないのだけど、音声の方に注目してみてください。
http://video.google.com/videoplay?docid=-4840704290898244925&hl

音声はなにか別のサンプルを置き換えているのだろうけど、樹々のおしゃべりがこんな感じだったら微笑ましい。
ご神木ではなくてただ普通の木、たとえば美術館横の落葉のすすむ樹々たちの声をきいてみたいと思った。