吉阪隆正展講演会「吉阪隆正と現代」

早稲田学生時代、吉阪隆正の研究室にいた内藤廣氏の講演会。
定員は120名だったけれど、すぐに会場は満席になって立ち見もいっぱいに。
正直私が今回の展覧会に訪れたのは、
島根県芸術文化センター》を設計した内藤氏の講演を聴きたいためだった。
でもコルビュジェの弟子ということしか知らなかった吉阪隆正に関する本を読み、
内藤氏からこの建築家について語られたことで、
思ってもいなかった気持ちの揺さぶりに遭ってしまった。


講演会の要旨を私なりにまとめる。
”現代の日本人は矮小な世界観にとらわれていることが問題点として挙げられるが、
吉阪はコスモポリタン的な視点を持ち、無国籍な建築形態を生み出した人だった。
異なる価値観を持つ人と理解し合うときに、形を媒介にして、
造形的な言語がそれらを結びつけることができるのではないか?
物作りに必要とされるのは勇気を持って無所属に身を置いてみることであり、
自分が所属している社会の枠組みをはずして考えることだ”


吉阪隆正の'50年代は丹下健三が華々しく活躍していた時期と重なっている。
しかし丹下らが目覚ましく建築をつくっていても、心が揺らぐことはなかったという。
造形美の同時代の建築に対して、吉阪の建築は人間のことをまず考える設計がなされていた。
ステレオタイプに美しいものを作り出せる人は本物ではないのではないか?
内から出すものに向き合える人が本物ではないか?”


最後の質問のところで、前の席の男の子がいい質問をしてくれた。
レジメに書かれている「吉阪隆正に会わなければ、もっと楽な人生が過ごせたと、
今まで百回くらい思った」という内藤氏の述懐について、それはなぜか?というもの。
内藤氏が答える。
”僕だけじゃない、吉阪隆正に出会った人はみんなそのことに苦しんでいるんだよ。
僕は建築のことは吉阪からではなくて、あとのフェルナンドや菊竹先生から習った。
吉阪からは建築のことは教えてもらわなかった。でも人生を教わった。
吉阪は「思っていないことを口にするな」とよく怒った。「良心に従え」と教えた”
そうなると器用には生きられなくなる。いい意味で不器用な人生の選択をすることになる。
僕を見てたら分かると思うんですけど、と内藤氏は笑って話されていた。
私はそこで3月に訪れた、《島根県芸術文化センター》を思い浮かべていた。
時流にのっているとは思えない、でも石州瓦を外壁に身につけてしっかりと建っている建築物。
今まで2時間近く聴いていた吉阪隆正の真っすぐな生き方のエピソードとも相まって、
感傷的になりたくないのに、涙が滲んできてしまう。
『マイ・アーキテクト』のルイス・カーンのことも思い返してしまった。



以下は余談。(ある意味、本旨にもつながってるけど)
講演の最初に引用されてたのはエドワード・サイード
著書で知識人はどこまで自身の身を危機にさらせるか?と問題提起している。
(『知識人とは何か』)
内藤氏はアテネ・フランセでサイードのドキュメンタリー『OUT OF PLACE』を
観てきたところだと話されていた。
http://www.cine.co.jp/said/index.html
関西では夏にガーデンシネマ、京都シネマで上映されるようだ。
それまでにいくらか著作にあたっておきたい。