「前川國男建築展in京都」

今日のメインのイベント。先に講演会の感想を。


パネラーの方は吉村篤一氏、岸和郎氏、横内敏人氏。
岸氏、横内氏が学生の頃はポストモダンの最盛期であって、
前川建築は退屈、もしくは時代遅れとみられていた時代だった。
ところがそれぞれに前川國男を評価するきっかけが訪れる。
岸氏は《埼玉県立博物館》に心動かされたそう。
(そこには「コルビュジェ的なシークエンス」があると、
そのあとのスライドでも平面図を指して熱心に解説された。)


横内氏は渡米中、現地のポストモダンを回っている間にそれらに疑問を感じ始め、
むしろルイス・カーンの建築に惹かれるようになったそう。
そしてカーンに通ずるような日本の建築家は前川國男だとして、
帰国後、氏の事務所の入所を希望した。
横内氏が前川事務所に在籍されたのは、最晩年の5年程。
入所のとき、前川氏は既に75歳くらいでパーキンソン病を患っていた。
ご健在の頃から各所員の机を回って、各自の仕事を見て回るのを日課とされていたが、
足の麻痺のために所員におぶってもらって、3階の製図室に上っていた。
それは亡くなる直前まで続けられていたそう。
また手の麻痺のためにスケッチが線分で描けないので、点で意思を伝えていた。
まぶたの麻痺で目が開かなくなったときは、セロテープで固定してまぶたをあげていた。
そこまでしても、前川國男という人は最後の最後まで建築家として在り続けたという壮絶な光景。
横内氏は前川氏の最期を見届けたことで、「建築家としてどう生きるか、どう死ぬか」を学んだという。
前川國男が熱情の建築家だったということは、
耐震偽装関連の番組で紹介されていたり、文献にあたったりして知っていたけど、
最晩年のエピソードは初めて聴かせていただいた。
横内氏もあまりきれいな話ではないので、
公には書いたり話したりなさっていなかったとおっしゃていた。
単純なのかもしれないけど、そういったところでは自然と目が潤んできてしまう。
この日一番、考えさせられたお話でもあった。