「エドワード・サイード OUT OF PLACE」(神戸アートビレッジセンター)

http://www.cine.co.jp/said/index.html

内藤廣さんが去年の5月の講演会のときに口火を切って話されたのがこの映画のことだった。
“境界をこえる”意義を求めたサイードから、建築と土木の境界をこえて教鞭をふるう内藤氏、
そして恩師の吉阪隆正の信念にまでつながっていくお話の展開が鮮やかだった記憶がある。
そのときのブログを読んでいたら、下記の言葉に改めて感銘。

物作りに必要とされるのは勇気を持って無所属に身を置いてみることであり、
自分が所属している社会の枠組みをはずして考えることだ

ええと、映画の話題から逸れてしまった。
その年の夏に関西でも上映予定だったものが今年の春先になってしまい、
今度は私がその上映に行きそびれて、延び延びになったものをやっと観に行くことになった。
神戸アートビレッジセンターの上映ホールは決して立派なものではなくて、
なんとなく自主上映の雰囲気にも近いのだけれど(運営形態のことはよく分からない)、
たとえばテオ・アンゲロプロスの特集なんかのときに行ってみると熱心な方々で席が埋まっていたりして、今夜も同様の熱っぽい空気。
オリエンタリズム』も途中で投げ出してしまったような私が、この場内で一番訳が分かっていない観客のようだった。
しかも今夜は上映後に監督の佐藤真さんが舞台挨拶をなさる日でもあったらしい。


映画はレバノンにあるサイードの墓を訪ねるところから始まる。
エルサレムに生まれ、キリスト教徒のパレスチナ人である彼の複雑な生涯を追いつつ、
次第にカメラはイスラエルとその近辺に住む様々な立場の人々に目を向けていく。
迫害を受けてきたユダヤ人も、難民キャンプに追われたパレスチナ人も、
映画の中では皆、真っ直ぐな気持ちで生活を営んでいることを知らされる。
その中でも印象的だったのは、エルサレムの地に残り、タバコを売って生計を立てながら、
ユダヤの人々と共存するパレスチナ人のお爺さんのインタビューだった。
どこかの主義に傾くことなく、淡々と市井の人々を捉えていく展開は、
ただそこに広がっている中東の風景の映像と相まって、自然で美しいと感じた。


上映終了後、佐藤監督が登場。
撮影の裏話としては、撮影の準備を進めていた最中にサイードの訃報を知ったこと、
シリアとエルサレムなど行き来の難しい国境を渡る際、奇跡的にカメラなどの機材が無事だったことを。
そして作品のテーマとしてサイード多民族国家アイデンティティの揺らぎを描いているけれど、
実は日本人にこそ、その危うさが潜んでいるのではないかということを問題提起されていた。
日本は単一民族国家で平和な暮らしをしているように思われる。
しかし映画の中の難民キャンプの人々の家族間のつながりの強さに比べ、
ずっと稀薄な関係性の中で、私たちは自分の居場所を探し求めているのではないかと。
それが監督の次回作のテーマであるようなことを仄めかされ、舞台挨拶は終了。
(他、サイードの思想や中東問題への言及も多々あったのだけど、私の勉強不足でまとめきれなかった。)


作品の存在を知って一年ばかり。
なんとなしにずっと待ち続けてきて、行き着いたところがこんな夜で良かった。


エドワード・サイード OUT OF PLACE [DVD]

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