藤本由紀夫展+講演会(西宮大谷美術館)

syn_chron2007-06-30


10年間続いた「美術館の遠足」が去年で終わり、
今年は「藤本由紀夫展」が行われ、初期の’80年代の作品から近作まで時系列に作品が展示されることになった。
そしてこの夏はここ西宮だけでなく、
来週から大阪、再来週からは和歌山でも藤本由紀夫展が開催される。
それぞれでテーマが異なり、
大阪→国立国際美術館では「+/-(plus/minus)」というタイトルで巨大な新作が、
和歌山→和歌山県立近代美術館は「関係」で、他のアーティストとのコラボ作品が展示されるそう。
いつも東京に行く度にいい展覧会が開かれていて羨ましいなあと思ってしまうのだけど、
この夏は関西こそ面白そうで、わくわくしてしまう。
(四国だけどMIMOCAではエルネスト・ネト展が)


それではまず藤本さんご自身による講演会のことを。
今回時系列に作品を並べていく中、初期の’80年代の作品を久しぶりに見ていろいろと思い出されることがあったそう。
この頃の藤本さんはオブジェにこだわっていて、けれど自分の作品を上手く説明できず、
苦し紛れに「サウンドアート」と言ってしまったのがそのまま定着してしまったと。
そしてその「サウンドアート」をつくることになったきっかけについて、お話ししていただいた。


’70年代の頃、藤本さんは電子音楽を勉強されていた。
’71年に大学に入学してからもずっとその勉強を続けていたのだけど、
アナログからデジタルに切り替えることができず、音楽をやめることになった。
それから悶々としていた時期に、マン・レイメトロノームの作品が表紙の本に出会う。
それは「目と耳のために」というドイツの展覧会の図録で、
藤本さんが音楽を始めるきっかけになった小杉武久さんのドローイングがあったのにも強い興味が湧いて、
独語で読めないにも関わらず購入することに。
図録の写真をたどっていくと、フルクサスのアーティストらのパフォーマンスなどがあって、
その中でもアタナシウス・キルヒャーのドローイングに惹かれたそう。


アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher)は16世紀のイエズス会の司祭。
当時派遣されていた宣教師が持ち帰ってきた世界文化の情報をもとに、さまざまな研究を行っている。
ノアの箱船バベルの塔、『チナ・モヌメンティス』(『中国図説』)のグラフィックは、
大真面目に描かれているのだけれど、現実的でないところがあって可笑しい。
古代エジブト文字や漢字の研究も、後になってデタラメという評価になってしまってたり。
自動演奏装置、伝声管などの音についての研究の図もまた非現実的な世界が描かれてる。
現代の目から見れば正当性のないものも多々あるけれど、伝声管なんかは実際に使われていたし、
光学の研究によるマジックランタンはプロジェクターの原形になっていたりして、
素晴らしい着眼点の持ち主であったともいえる。


藤本さんが「目と耳のために」の図録やキルヒャーの研究から学んだのは、
“感情や気持ちを表現しなくてもいい”、“観察したことが作品になる”ことで、
そして“身近なところから発想できる”のに勇気づけられて創作するきっかけがうまれたそう。
最初の作品は家にあったオルゴールと、東急ハンズで購入した木製の道具箱を組み合わせたもので、
ギャラリーに展示したとき、美術関係者には見向きもされなかったけれど、
アーティストの中で口コミで広まって、いろいろなつながりができたと。
そして現在に至り、「サウンドアート」を認めない人がまだいる中、
今行われているヴェネチア・ビエンナーレのディレクター、ロバート=ストーは、
ガチガチのタブロー派だといわれるのに声をかけられてとてもびっくりしたそう。
Think with the Sensesというテーマの展覧会に参加されている)


最後にパフォーマンスを行っていただいて、講演会は終了。
両手に小型の送風機を装着して、いくつかの紙を震わせて音を聴かせるもの。
弱そうな薄紙から意外に大きな音が出てくるのが驚き。


手短に展覧会のことも。
展示室は4つに分かれていて、1階は’80年代のもの、
2階は’90年代から近作までのものが置かれている。
元ネタがキルファーというのは有名な話だそうだけど、私は今まで知らなくて、
その解をもって作品をみるのが楽しかった。
音だけじゃなくて文字の研究も作品になってた。
そして最後の展示室がとてもよかったな。
中央に置かれた作品の周辺に割れかけのタイルが敷き詰められていて、
それを観客が踏みしめる音も作品になってる。
窓から見える庭の緑と、素っ気ない展示室の壁、無機質な藤本さんの作品、
それらがひとつの空間にあるのがよかった。